谷川岳一ノ倉沢烏帽子岩南稜

「これほど有名になった山もあるまい。しかもそれが「魔の山」という刻印によってである。いま手許に正確な調査はないが、今日までに谷川岳で遭難死亡した人は二百数十人に及ぶという。
そしてなおその後を絶たない。
この不幸な数字は世界のどこの山にも類がない・・・
それほどまでに恐れられているにも拘らず、山開きの日には数百人がおしかけて、行列登山をしているさまが新聞の写真で報じられる。東京から近く、二千米に近い標高を持ち、しかも標高のわりに岩根こごしい高山的風貌をそなえているからでもあろうが、やはり人気の大きな理由は、谷川岳という評判にもあるのだろう。これほどしばしば人の耳を打つ山の名は少ない。絶えず何か事件を起こしている。(日本百名山:深田久弥)」


そんな世界一遭難が多いことで有名(ワースト1)な谷川岳(一ノ倉沢 烏帽子岩南稜)に行きました。

Wikiでは、こう書かれています。
谷川岳の標高は2,000mにも満たないが、急峻な岩壁と複雑な地形に加えて中央分水嶺のために天候の変化も激しく遭難者の数は群を抜いて多い。ただし遭難者の多くは一ノ倉沢などの岩壁からの登頂によるもので一般的なルート(天神尾根)は殆ど危険な個所もなく遭難者も少ない。


1931年(昭和6年)から統計が開始された谷川岳遭難事故記録によると、2012年(平成24年)までに805名の死者が出ている。
ちなみに8000メートル峰14座の死者を合計しても637名であり、この飛び抜けた数は日本のみならず世界の山のワースト記録としてギネス認定されている。
1960年(昭和35年)には、岩壁での遭難事故で宙吊りになった遺体に救助隊が近づけず、災害派遣された陸上自衛隊の狙撃部隊が一斉射撃してザイルを切断、遺体を収容したこともあった(谷川岳宙吊り遺体収容)。

8,000m峰14座の遭難者数よりも谷川岳が多いって・・・


この前情報で若干緊張していたのですが、一ノ倉沢出合に着いたときに見た谷川岳一ノ倉沢は素晴らしい景色でした。

160611 (5)
▲まずはテールリッジ取り付き(赤印)に。

160611 (6)

出合で準備を整えて登山開始。
まずはプリンっぽくなっているところ(主稜テールリッジ取り付き)を目指します。

しかし、早速洗礼を受けました。
軽く踏んだだけなのに今でかい岩が落ちてきました。。。

160611 (9)

160611 (10)
▲あの上から数M落ちてきたんですが、転がった距離が問題なのではなく、この岩が転がったチカラを想像するとビビリます。


気を取り直して進みます。
谷川岳に向かって川筋左側の明瞭な踏み後を通ると行き止まりで懸垂下降することとなり手間がかかります。

160611 (13)
▲あとで知ったのですが、川筋右側を通った方がいいと思います。


ここを下るとテールリッジ取り付きです。
滑りやすい岩質ですが、FIXロープも張ってあり特に難しくもないです。

160611 (15)

テールリッジを登ると南稜テラスが見えました。

160611 (17)

さて、先行パーティーの出発を待って登攀開始。

160611 (21)

隣の衝立岩正面壁にもクライマーが。

160611 (24)

トポ図はネットで出回っているのでみてね☆

160611 (29)
▲写真では遠近感や高度感が伝わらないのですが、この場所かなりの高度感です。


160611 (32)
▲無事登頂~

160611 (36)
▲時間があれば谷川岳に登りきって帰りたいところなのですが、6月はロープウェイが点検休止で運行してません。なので、懸垂下降で下ります。

160611 (38)
▲一般的には懸垂下降で下るそうです。

朝っぱらからドでかい落石の洗礼を受けるは、隣のルートでは1,000mくらい上から自然落石で岩がたくさん落ちてくるは、半端ない緊張感の中で登りました。

先行パーティーの渋滞もあったけど予定より早く登れたし、年末に向けていろいろと勉強になった一日でした。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

かたやん

Author:かたやん
障がいを理由にあきらめたくない!元バイクレーサーが次に選んだ挑戦!

出身地:兵庫県
趣味:登山、スキューバダイビング、旅行、釣り
仕事:経理事務

19歳の時、バイク事故を起こし、10日間意識不明の重体になりました。
奇跡的に意識は取り戻しましたが、主治医からは「左上半身は二度と動かない、右下半身は完全には曲がらない」と絶望的。

毎日、否定的に生きる私を変えたのは、病院で出会った小学生でした。
その小学生から『現実を受け入れて、最善の方法を選んで今を生きる』ことを教えられ、過酷なリハビリを決意。

度重なる手術と過酷なリハビリ末、奇跡が起き、事故から3年後、障がい者となりながらもバイクレースに復活。
そして、レースに参戦すること7年。
『障がい者でも表彰台に立つ。カラー2ページで特集される』
この2つの夢を叶えて引退。

引退後、仲間と登った槍ヶ岳(日本No.5:3,180m)登頂をきっかけに登山を開始。
事故から21年、腰の骨を左腕に移植するなど手術した回数は29回にもなりました。(2016年現在)

登山は私にとって簡単なスポーツではありません。
しかし、私が限界に挑戦する姿が、壁を越えようとしている人(特に障がいを持っている子供たち)に希望を与えていると知ったから私の挑戦には”意味がある!”そう思って、いろいろなことに挑戦を続けています。

====

最新記事
最新コメント
カテゴリ
応援ページ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: